こんにちは、ゆりです^ ^
久しぶりのトッケビ関連の記事。
今回は、トッケビのドラマの中でも印象的だったシーンの一つ、
ウンタクの先生が産神の言葉に涙するところについて。
このシーン、いろいろ気になるところがあったので、自分なりに考えてみました。
まず一番気になるシーンの話。
ウンタクの卒業式の日、赤いドレスの産神が来て、ウンタクに花束を贈って抱きしめてくれました。
ここ、すごく感動的でとっても好きなんですけど、
気になるのはそのすぐ後のシーン。
ウンタクの担任の先生のところまで行って、真顔で
あなた。
なぜそんな教師に?
もっと素敵な教師になれなかった?
そうすると、担任の先生、泣いちゃったんです。
本人もなんで泣いてるのかはよくわからないようです。
ここで、なんで先生は泣いたんだろうなって思ったんです。
なんかすごく重要なシーンなような気もして、勝手にその理由を考えてみました。
この先生、前にウンタクがトッケビとカナダに行ってたせいで遅刻した時、
ウンタクにすごく辛く当たったんですよ。
「大学に行けないからって周りに迷惑かけないで」
とか
「その目は何?なんで口答えするの?」
とか。
あんまりいい感じの先生ではなかったですよね。
だからこそ、この先生の涙に意味があるのではないかってことです。
まず、「前世と関係があるのではないか」という仮説。
このドラマのストーリーの中で、かなり重要になっていたのが、その登場人物の「前世」ですよね。
なので、この先生の前世がなにか産神さん(産神って呼び捨てるにはかっこよすぎるので”さん”をつけますね)の発言と先生の涙につながっているのでは?!と考えたんです。
このシーンの直後に、先生がトッケビとすれ違うところがあるのですが、
そこでトッケビがこの先生の前世を思いだすんです。
それがこちら。
優しそうな人ですね^ ^
でもここだけなので、この人自身のストーリーとは関係なさそう。
ここはすごい昔にトッケビがウンタクを見てたよ、ってとこが大事なシーンですもんね。
じゃあ先生はなんで泣いたんでしょう?
私の出した結論は、
この産神さんのセリフに意味があるのでは、ってことです。
このセリフのはじめの部分、日本語では「あなた」って訳されてますけど、
産神さんは
아가 (アガ)
って呼びかけてるんです。
아가 って、韓国語で
赤ちゃん、坊や、お嬢ちゃん
って意味合いが強いみたいなんです。
てことは、産神さんにとってこの先生は大切な子どもの1人なんじゃないかなって。
そう考えて、もう一度セリフを見てみました。
あなた。
なぜそんな教師に?
もっと素敵な教師になれなかった?
こうやって見直す(聞き直す)と、
このセリフって母から子へのメッセージなのかなって思います。
学校の先生を目指す人で、最初から親に媚び売ったり、生徒に辛く当たるような先生になろうなんて考えてる人はいないはずじゃないですか。
きっと、この先生ももっと素敵な先生を目指してたはずなのに、
どこかで道を間違えたとか、いろいろ諦めてきた結果としてこんな先生になってしまったのかもしれません。
そんな風に考えると、産神さんの言葉がすごく核心を突いている気がするんです。
このシーン、見返せば見返すほど、
産神さんは怒ってるだけなわけじゃないと思うんです。
ちょっと悔しそうな、悲しそうな表情が混じってる気がします。
産神さんもきっと、自分の大切なウンタクを大切にしてくれないことを許せないだけじゃなくて、
この先生だって自分の授けた命だから、大切な存在だから
悔しさだったり悲しさだったりを感じてたんじゃないかなって。
心のどこかに引っかかってた何かをはっきり言葉にしてくれるのも、
間違ってることを間違ってるって教えてくれるのも、
やっぱり母親じゃないですかね。
その親から子への切実な思いみたいなのが詰まっていたから、先生も涙を流したんじゃないかと思います。
ここまで勝手に「先生が泣いた理由」を語ってきたところで、
急に、思ってしまいました。
キム・ウンスク作家(脚本家さん)は、なんでこのシーンを作ったんだろう?
どうしてこんなにも考えなくていいことを考えたくなってしまうんでしょう。卒論で頭がおかしくなってるんでしょうか。
でも、別にこの学校の先生を悪者にする必要もなかったわけだし、
悪者にしたからといってこのシーンを作る必要もなかったわけです。
このシーンがあるってことは、ウンスクさんが書きたかった理由があるんじゃないかなって。
で、いろいろ考えてみたんですが、
もちろん「先生が泣いた理由」の方で言った、「母から子へのメッセージ」だったり、
産神さんの神秘感を出すため(突然知らない人に泣かされたら不思議ですもんね)っていうのもあると思うですが、
個人的には、
「誰もが大切な存在であること」
を伝えたかったんじゃないかな、と。
ウンタクはトッケビ新婦であって、なんか特別な存在なんですよ。
でも、先生ってある意味普通の人間じゃないですか。
失敗したり、媚を売ったりしながらそれでも一生懸命生きてる普通の人なんです。
そんな「普通」の存在でも、大切なんだってことを伝えたかったんじゃないかと思いました。
以上、
ウンタクの先生は産神の言葉でなぜ泣いた?? について勝手に考える
回でした!
完全に考えすぎて重くなってしまいました。
この「語る」系の記事を書くと、どうも重くなります。なんかすいません笑
この先生、いい先生になれたのかな〜
とか、記事を書きながら思っちゃいました^ ^
ちなみに、ウンタクと産神さんのシーンの、このセリフ。
너 점지할 때 행복했거든
お前を授けて幸せだった。
ここのセリフの最後の部分、
거든 (コドゥン)
の音がとてつもなく好きです。
以上です。
ではでは^ ^
※この記事内の写真は、すべてYouTube等他サイトから集めてきたものです。セリフの和訳はU-Nextを参考にさせていただいてます。
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私も気になりました。
産神はみんなの母でもあるようですが、トッケビ含め神が関わる相手は気まぐれであろうといつも一生懸命だったり必死な人であるように思います。
だからこの先生もどの時代かのいつか、何かを願い神様に関わった一人なのではないかと考えました。
なのに、(あの願いは)どうしたの?
という勝手なストーリーを思い描きました。
通りすがりさん、コメントありがとうございます!
確かに、神に関わる人は運命に負けず一生懸命生きてる人ばかりだったので、この先生もそうだったのかもしれないですね。。
そしたら、一生懸命生きてない姿に怒ってるのも納得がいきますね!
他の方の意見が聞けて、すごく嬉しいです♡ありがとうございます!
この解釈に感動しました。
間違っている事を間違っていると伝える事、愛そのものを先生が感じ心を痛めた気がします。
娘にどうしてそんな大人になったのかと問いかける今の私には、産神様と同じ気持ちで伝えた反面、娘への接し方に反省しその言葉に涙する先生にも共感してしまう感慨深いシーンでした。
トッケビとウンタクの大切なシーンななで先生の涙と産神様に共感する人はまずないと思うのですが。愛のある解釈に心救われました。
サトミさん、コメントありがとうございます♬
そんな風に言っていただけて嬉しいです!何となく涙の意味が気になって書き始めた記事でしたが、考えれば考えるほどすごく意味のある、いろんな解釈のできるシーンなんじゃないかと思うようになって、
こうして他の方の意見や考えも聞けて本当に記事を書いておいてよかったです^ ^
ありがとうございます!
すごく確信をついていると感じ、そして私は涙を流れました。
ありがとうございました。
amyさん、コメントありがとうございます♬
そんな風に言っていただけで私も嬉しいです^^
最近綿の花を購入し、改めてトッケビのこのシーンを思い出し共感しながら読ませて頂きました。文字に起こすって大変な事だと思いますが、素敵なブログありがとうございます。本当にどのシーンも無駄な部分はなく、キム・ウンスク作家の伝えたい事や感じて欲しい事が沢山あって、このドラマを元に人間の尊さを学ぶための道徳の教科書作って欲しい!っていうくらい深い内容のドラマだと思ってます。